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[C76]

なるほど!なんか自分も振り回されてる気がしてきた。
(_ _。)・・・シュン
いっそ、開き直ってみようかな。
  • 2011-04-06 02:49
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[C77]

さすが小野ちゃん!!
ちょっとほんのついさっき考えてたことと妙にシンクロしてたから、初コメしたよ~

[C78] みゆき

76>コメントありがとうございます!開き直るの大事よね~
77>誰かわからないけど、ありがとうw
  • 2011-04-11 12:25
  • みゆき
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[C82]

「『生』そのものをどーでもいいと思うこと」
この一文に強く魅かれました。

過ぎてしまえばわかることなのに、渦中にいるとわからないこと。
経験を重ねて振り回されている自分を客観的に見られること。
この世に「絶対」がひとつあるなら人はいつか必ず死ぬということ。
ならば生死は同じこと。

そのくらい「どーでもいい」とすんなり思える日が来ると素直に生を受け容れられそうな気がします。

[C88]

今の自分にとっていいタイミングでこの記事読めました。対象をどーでもいいかと思おうか、いや、思わなきゃと思ってたときでした。
  • 2011-08-10 23:30
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なにかに振り回される、ということ。

最近、苦しみというのはたいてい「何かに振り回されている状態」から生まれるのだ、ということを感じる。

恋愛ももちろんそうだし、お金とか仕事とか、現実の行為に振り回されることも多いだろうけど、
生い立ち、アイデンティティといった自分自身に振り回されている人はとても多い。

何かに振り回されているとき、
「おまえはそれに振り回されている」と言っても、
絶対にその人は認めない。

むしろ、
「いや、自分は振り回されていない。」
と意固地になってしまう。

これは自分で選んでいるんだ、とか
振り回されるのが好きだからだ、とか

自分の中でいいわけして、「振り回されていない、自分は自分だ」と言う思いを強める。

「自分は自分だ」と言っている人は、たいてい自分じゃない。

結果、振り回されている事に苦しんで
最終的には振り回している対象に、「人を振り回すな」と怒ってしまう。
けれど、振り回されているのは自分なのだ。

執着したり、振り回されることは、恐れや怯えから生まれる。
それを失うこと、奪われること、それがなくなることで自分が変わってしまうこと。
それを恐れているから、執着する。

恐れや怯えから始めた行動は、大抵、ぜったい、うまくいかない。

そのことに気づかないから、振り回されるし、執着する。

振り回されていることに、どうしても苦しさを感じてしまうときは、
「自分が振り回されている」事をいっそ、みとめてしまったほうがいい。

自分の軸がなく、相手に振り子のように振り回されている自分を想像してみる。
そうすると初めて、「あ、自分は振り回されてたんだ」と言う事に腹落ちする。
いっそ、すがすがしいほどに、自己の中心に何もなく、ただ翻弄されるだけだった自分に気づくことができる。

振り回されている自分に気づいて、そこで初めて、振り回されない自分に戻ってゆく。
振り回されていた対象を「どーでもいい」と思えることによって、初めてその対象に慈しみの情が湧いてくる、ということがある。
振り回されるのを辞めて初めて、振り回された相手を尊重することができる。
恐れや怯えを捨てたところに、より強い自分、が育つことがある。

だから、何かに振り回される事の最終到達点は、その対象を「どーでもいい」と思えることだと思う。

それを目標に、振り回されてみるのも面白い。

ただ、振り回されることが悪いことかというと、そうでもないんじゃないかな、と思う。
人は群れで生きている以上、誰かからの影響を受けずに生きることなんてできない。
たとえば、自分の最愛の家族が病気になったとして、
本当にその人を愛していたら、家族のせいで、自分は振り回された、とは思わないだろう。愛する子供の面倒を見る母親は、子どもに振り回されている、とは思わないだろう。

振り回されることで、なにかに気づくことがある。
余剰が生まれる。
自己の軸がずれることで発生する豊かさは存在する。

けっきょく、「生」というものに執着している時点で私たちは最初から振り回されている存在なのだ。
だから、振り回される事を、悪いと思わないことで、「振り回されないこと」への執着も消す事ができる。
なんとなく、それは他人への愛にも似ている気がする。

最終的に、「生」そのものをどーでもいいと思うことだけど、そこまでいくのはもうちょっと、時間がかかりそうだな。
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なるほど!なんか自分も振り回されてる気がしてきた。
(_ _。)・・・シュン
いっそ、開き直ってみようかな。
  • 2011-04-06 02:49
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さすが小野ちゃん!!
ちょっとほんのついさっき考えてたことと妙にシンクロしてたから、初コメしたよ~

[C78] みゆき

76>コメントありがとうございます!開き直るの大事よね~
77>誰かわからないけど、ありがとうw
  • 2011-04-11 12:25
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「『生』そのものをどーでもいいと思うこと」
この一文に強く魅かれました。

過ぎてしまえばわかることなのに、渦中にいるとわからないこと。
経験を重ねて振り回されている自分を客観的に見られること。
この世に「絶対」がひとつあるなら人はいつか必ず死ぬということ。
ならば生死は同じこと。

そのくらい「どーでもいい」とすんなり思える日が来ると素直に生を受け容れられそうな気がします。

[C88]

今の自分にとっていいタイミングでこの記事読めました。対象をどーでもいいかと思おうか、いや、思わなきゃと思ってたときでした。
  • 2011-08-10 23:30
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About me

小野美由紀

Author:小野美由紀
こちらにブログ移行しました→http://onomiyuki.com/

慶應大学仏文学科2010卒。
学生時代は「深夜特急」に憧れ世界一周22カ国等海外でフラフラ。一番の思い出はスペイン巡礼。
NPOカタリバ学生職員、道塾を経、現在はフリーライター。
「まれびとハウス」でのんびり料理する日々。
WEBサイトのライティングや仏語翻訳も請負います。
いつか巡礼について読み物を書きたいと思っています。

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